2012年5月14日月曜日

リジェJS-15/ジャック・ラフィー/1980/スパーク


スパークのリジェJS-15モデルを手に入れました。1980年、ジャック・ラフィーのドイツGPモデル。当時の表記に合わせるなら「西ドイツ」GPですね。

リジェJS11-15は、1979年に登場したリジェJS11を改良して、1980年に参戦したマシンです。この年のコンストラクターズランキングは、ウイリアムズに続く2位。ドライバーズランキングでもラフィーが4位、ピローニが5位に入っています。

西ドイツGPはラフィーが優勝したレースです。2位は2回、3位も2回ありますが、優勝はこのレースのみ。「成績悪いのにモデル化」というパターンに比べると、正しいプロセスだと思いますね。あ、でも、予選落ちしたマシンもモデル化するというRacing Modelsの取り組みも、それはそれで素晴らしいと思います(笑)

レースレポートが載っているオートスポーツ1980年10-15号を見てみます。


表紙はルノーRE23。表紙にもきちんと「西ドイツ」と表記されています。

表4はフェアレディZです。


雑誌というのは基本的に縦長のものが圧倒的なんですが、その広告を横長に作るというのは、なかなか挑戦的です。

「トップが二転三転、けっきょく最初にチェッカード・フラッグを受けたのは、J.ラフィーだった。やっと待望の一勝をあげたラフィーの幸運というよりもJ-P.ジャブイーユやA.ジョーンズにツキがなかったといえそうだ。」

──これがリード。身も蓋もないというか。

とりあえずポールポジションはアラン・ジョーンズのウイリアムズFW08。だけどレースが始まるとあっさりジャブイーユのルノーRE23に抜かれる。それがエンジン異常でジャブイーユがリタイア。前戦まで3連勝していたジョーンズの4連勝間違いなしというところで、今度はジョーンズのタイヤの空気が抜けて、ラフィーが首位へ。そのまま、優勝というレース展開だったようです。ウィリアムズの隆盛とターボ時代の到来を感じさせますね。


「ラフィーには喜びの表情はなく、シャンペン・シャワーのセレモニーも、レース後の祝賀パーティもなかった。『ここで勝ってもすこしもうれしくないんだ。この1週間というもの、パトリックのことで頭がいっぱいだった』とラフィーは寂しげに語った。」

パトリックとは、前年のチームメイトだったパトリック・デパイユのこと。レース前週、ドイツGPが行われたホッケンハイムでアルファロメオをテスト中にコースアウトして事故死しています。

振り返ってみると、1980年のコンストラクターズランキング1位のウイリアムズと2位のリジェのマシンは、どちらも前年の改良モデルです。そのあたりの考察がオートスポーツ10-1号に載っていました。

「ドイツまでの結果でもわかるように、ウイリアムズFW07BとリジェJS11/15が、かなりの速さを示している。この2車に共通していることは、いずれも’79年タイプの改良型であり、ニューモデルではないということだ。」


「FW07にしろJS11にしろ、その基本デザインがすぐれているということである。とはいえ、とてつもなく秀でたデザイン(ロータス80のように)という意味で、すぐれているのではない。それはこの2車が。現代のサーキット、タイヤ、エンジンそしてドライバーの技術に高い地点で妥協しているということだ。妥協という言葉が適切でないとすれば、バランスしているといってもいいだろう。」


「たとえば、ダウンフォースとドラッグのバランスにしても、FW07BとJS11/15は、ストレートでもじゅうぶん速く、コーナーでもけして遅くないという意味で、実に適切である。」

うーん、わかるような、わからないような(笑)。「高い地点で妥協している」ほうが、「とてつもなく秀でたデザイン」よりも上である、ということなんですかね。だとしたら、後者は何が「秀でている」のか、なんてことも気になってきます。

でも、その例に挙げられているのがロータス80ということは、このくだりは皮肉なんでしょうか。